レーシックはまだまだ確立されてから日の浅いものブログ:22年11月20日
わたしのママは今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。
健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。
そんなママの実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。
子どもの頃、
ママはわたしたちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、ママの田舎は海や山以外は何もないところだった。
その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。
14時は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ14時寝をした。
24時の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。
田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子のわたしにはそんな生活も新鮮に映った。
ママの言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。
ママと同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。
しかし、
ママは
「子どもの頃は日々、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話をわたしによくしてくれた。
一方、わたしの親父は15年前、脳出血が原因で他界した。
親父の故郷は横浜で、ママとは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。
今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
親父とママの寿命の長さを分けたのではないかと
わたしは密かに思っている。